批判

日本に不利な内容の書き込みをした途端、在日韓国人と認定されてその上で罵られた。
多くの人間がいるわけだから多様な考え方が当然にあり、その上で話を尽くしてお互い
の考えを理解し合うというのが議論の目的だと思う。
だが、特に掲示版において顕著に見られるが、異端であることにのみ着目して、
論理的な観点からの指摘はなく、単に人間性がどうだとか精神性に持ち込んで自分とは異なる
意見のものを感情的に排除するという流れが一般的になっているのが現状な気がする。
自分と同じ意見を持つものばかりを集めて、批判を排除すれば、それは単なる自己満足であって、そこからは進歩が生まれない。

少年ジャンプに掲載されているバクマンという漫画で、サイコウとシュージンという
2人の漫画家が、ここはどうだ、そこはどうだ…と声を上げて議論しているシーンがあった。
そこで、シュージンの嫁が、「喧嘩はしないで!」と割り込んだ。
すると2人は、「喧嘩ではないから」と言った。

こういう出来事は日常においても割りと目にする光景だろう。
つまり、本質に関わる議論(長々と続くような、重要なもの)を喧嘩と認識して徹底して避けることで、和を乱さないで和気藹々としていよう…という考え方だ。

この方式がイケナイことだとは思わないが、個人的にはとても息苦しいものだと感じる。
大学では、批判(理性から発生する)と悪口(感情から発生する)の区別がつく人と交流し
たいなぁと思った夜であった。まぁ受かるかどうか微妙なんだがww